アベンジャーズ:エンドゲーム

 

全ての思い出が強烈に胸に叩きつけてくる。
視聴したマーベル・シネマティック・ユニバースの作品が

多ければ多いほど、
心が揺さぶられる映画でした。

ここからネタバレ全開で書いていきます。
黙っているのも辛かったので幾つかはき出したいなぁと。
ただ、MCUが好きな方は私の感想など見ないで、
GWに劇場でエンドゲームを見に行って下さい。
エンドゲームに対する一切の事前知識がない方が楽しめるでしょうから。

 

 


オリジナルアベンジャーズ。最初の六人。
アイアンマン、キャプテン・アメリカマイティ・ソー
ハルク、ブラック・ウィドゥ、ホークアイ
アベンジャーズ:インフィニティ・ウォーの時にも言われてましたが、
サノスとの戦いは彼ら六人が揃っていたなら勝てた、と。
アベンジャーズ:エンドゲームは結論から言えば、
サノスに勝利する事ができました。
ただ、それはアイアンマン=トニー・スターク、
そしてブラック・ウィドゥ=ナターシャ・ロマノフの死によって

勝ち取れたギリギリの勝利であり、それですらきわどい物でした。
普通の映画だったら「他の手はなかったのか?」そう考えもしましょう。
ですが、インフィニティ・ウォーの時点でタイム・ストーンを使って、
ドクター・ストレンジが勝利できる可能性を1400万605通り探求した結果、
1つしかない勝ち筋に乗ったからこそなので、
他に選びうる選択肢はなかったのでしょうね。
その事が救いにはならなくても、諦めになると言うか……。


トニー・スタークはその人生の半ばまで、
放蕩と兵器開発に費やしてしまっていました。
そんな彼が欲していたのが、家庭人としての小さな幸せであり、
それを享受することができた結果、それらを守る為に彼が下した決断が、
いままで人生で行ったことがない「自己犠牲」というものだったわけです。


スティーブ・ロジャースは人生の前半生を自己犠牲と奉仕に費やし、
人類を救う偉業を達成しながら命を落としたと思われていました。
時を越えて奇跡の復活を遂げても、
その力を他人の為に捧げ続けていました。
そんな彼が全てが終わった後に選び取った選択肢が、

私が長年やってくれと言いたかった事でもありますし、
ペギー・カーターが「貴方は自分の人生を生きられなかった」
と言った通りだったので、彼の選択を嬉しく思っています。

ソー・オーディンソンはアスガルドの皇子として、
神族とはかくあらねばならぬという自分の型に囚われ続け、
彼自身も斯くの如くあろうとし続けてきました。
その中で最愛の母を失い、友人達を失い、父も亡くし、命を狙ってくる姉を殺し、
アスガルドという彼を縛る国も失いました。

そこから新天地へ赴こうという時、弟を失い、親友を失いました。
その復讐心をサノスへ向けたのですが、
それすら達成した後は道標を失い堕落してしまいました。
ただ、最後の最後で完全な自由、ソーという一個人の人物となった彼は、
その自由な道行きにいままでにない笑顔を浮かべていました。

本心では満足していますし、
10年に渡るMCUの総決算としてあり得ないレベルの映画です。
キャプテン・アメリカ役のクリス・エヴァンスや、
ソー役のクリス・ヘムズワース達の肉体を築きあげる事も、
限界が来ていて次で終わり、次で終わりという言葉が囁かれていました。
RDJはスーツがあるのでいいのですが、
まぁ、彼も年齢が高くなってきていてw

ただ、すごくわがままを言わせて貰えれば、

 

いつまでも見ていたかった。
キャプテン・アメリカを。
ソーを。アイアンマンを。
クリスエヴァのキャップを、クリヘムのソーを、RDJのアイアンマンを。

 

わがままだというのは分かっているのだけど、
彼ら以外のそのキャストが考えられないほどのハマリ役でした。


私はアメコミが大好きな人間ですが、アメコミで嫌なのは、
死んだ人間が比較的簡単に蘇ってくることでした。
ただ、いまならそれが分かります。
ヒーローを失いたくない。いつまでもヒーローを見ていたい。
そうか、こういう気持ちだったのか、と。
まだまだ書きたい事は沢山ありますが、
感情を納得させるのがなかなか難しい所です。
久々に心乱されました。友人と別れるような心持ちになっています。
まるで、子供のようで……なんとも不思議です。