神話とはいにしえの人類が作り上げた、雷・太陽・海などの地球環境を巡る自然現象を擬人化し、神という枠組みで崇め奉り、崇拝と供に親しみを得ようとした物語である。ここに現代における類似点をあげるのなら、萌え擬人化があげられる。兵器やロボットをかわいらしい女の子の絵柄で描き、それに萌えを想起させる。つまり、人類は原初より萌える生き物であったのだ。そんな原初人類の精神世界、神話を現代に華麗なる筆致で蘇らせたのが、誰あろう中村九郎先生である。中村先生独特の、斬新で前衛的であるがゆえに、形而上にあるかのような錯覚を覚えさせ、さらに読者をジェットコースターに乗せつつ、いきなりカリブの海賊に移るような躍動的なストーリーテリング。中村節とも言える独特の語り口によって神話が現代に蘇る様は、まさしくルネッサンスを思わせるリボーン(生まれ変わり)であり、ミケランジェロダ・ヴィンチたちルネッサンス期の作家たちと同等の創造力を持った中村先生が、一人でそれを行うさまはまさしく先生自身が神格化されたかのようであり、その姿を想像するだけでもはや尊崇の念は抑えることができない。あとがきによると、本編は8度のリテイクを経たものであるらしいが、それは当然の帰結であると私は断言する。バタール・モンラッシュ(最新のヴィンテージでも、12万円を越える)という白ワインがある。一口に言っても、35種類ものバタールが存在するのだが、このクラスのワインは最低でも10年は寝かせるべきであるとされる。まさしく、アリフレロ キス・神話・Goodbyは、ライトノベルにおけるバタール・モンラッシュであり、8度の熟成を経て、かぐわしいばかりの芳香とともに読者の前に饗されたのである。

ラストシーン。黒園葵は約束どおり、目覚めたときにいた神話(三井川正人)を狩るという。三井川にはそれはよくわかっていた。けれど、彼は黒園葵に会いたかったのだ。そう、件名にかかれた、「俺の神話の最期のページに、黒園がいるなら、それでいい」ということだ。そして、読者は知っている。このページが、物語の最期であると。黒園葵は三井川にキスをして「────────」と囁く。なんと囁くかのは、実際に読み解いていただきたいので、伏せさせていただく。私は長い旅を終えたかのような心地よい徒労感と開放感のなか、過ぎてゆく夏を惜しむかのような、長年の友と別れるかのような、そんな寂寥感につつまれた。まさしく、このエンディングは、中村九郎先生でしか紡ぎ得ない、銀糸の如き珠玉の逸品であるのだ。

このシーンの美しさは筆舌に尽くしがたい。物語がラストシーンのためにかかれたものであるのなら、これは最良のそして最上のラストであるといえるであろう。