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秋田先生って、若いことがあの当時から分かっていて、
リアルタイムでオーフェンシリーズを読んでいる頃、
自分とあまり年齢の変わらない人が、大長編の小説を書いて、
すごいなぁ……と思っていたのが学生当時の印象でした。
で、完結から20年あまりして、再会したストーリーは、
非常に極上ではありました。


取りあえず、オーフェンが死ななくてよかったとは思います。
ただ、なんとなく釈然としない部分があります。
けっこう、魔術士学校の校長というオーフェンを見てるのが、
好きだったのかもしれませんが。
もっと細かくいうと、オーフェンがチャイルドマンの後ろ姿を脳裏に浮かべながら、
あの当時は先生はしかめっつらだったけど、案外こういう気持ちだったかもな、
と想像するシーンがすごい好きで、ああいうのをもっと見たかったなとは思います。
面白いし、好きな登場人物達が生き残ってくれたので、
状況は厳しくはありますが、ものすごいハッピーエンドなんではないかと。


オーフェンって、実は第一部が大好きで、
第二部は前半ちょっと面白くないな、などと思っていて、先日読み直してみたのですが、
第二部の前半もちゃんと面白かったりします。
恐らくは当時、スレイヤーズオーフェンに牽引されたライトノベルでは、
「特別な星の下に産まれた、特別な能力者達」
が、工場で大量生産される量産型ブランドお菓子のように、
大量出荷されていて、しかも大量に消費されて消えていきました。
スレイヤーズは能力インフレの果てに、縮小して自壊していった感があり、
後半面白くはあったのですが、読んでいて常に自分の頭の上に天井がある、
そんな閉塞感がつきまとっていました。
作中で多くの登場人物が、オーフェンに魔王の力を存分に発揮して、
すべてを掌中にする事を望んだり、唆したり、怒りと供に詰め寄ったりします。
でも、作中最強であるオーフェンの戦闘能力は、
人間社会が築いた社会構造、政治の前に簡単な行使を許されることがありません。
オーフェンは常に忍耐を強いられます。
「超人(的な力)は世界を救えない」
オーフェンに一貫して貫かれているテーマであると思います。
たとえ話をしてみましょう。
魔王が出現して国土を荒らし、勇者が現れ魔王を倒したとします。
ほれみろ、超人は世界を救うじゃないか。
私もそう思っていました。
ただ、魔王という問題を処理しただけで、
荒らされた国土を回復し、国を立て直すのは、
王様であり大臣であり、兵であり、商人であり、
農民であり、民達であるわけです。
数年後、被害によっては数十年かかるかもしれませんが、
そうして回復して、初めて国は救われたとなるわけです。


ダイの大冒険で、あれだけ秀でたアバン先生は、
秀でた能力のせいで疎まれることを恐れ、
道化に徹することにしています(本人も楽しんでいそうですが)。
大魔道士マトリフは、その知恵を見込まれますが、
大臣や高官達既得権益者に地位を脅かすとやっかまれ、
パプニカ王国から出奔してしまいます。
苦悩と忍耐に満ちた長い年月ではありましたけど、
オーフェンが肩の荷を降ろせてよかったと思う反面、
あの(シリーズを読んできた方なら多分、この「あの」の意味が分かると思う)オーフェンが、
しかめ面で校長をやっているという、その辺りを楽しんでいたので、
その辺りがちょっと残念かなと。


マヨールとベイジットは、ストーリーを回す為に必要ではあったなと思うのですが、
如何せん旧キャラはでてくるだけで懐かしさ補正で、
優先順位が上になってしまうので、そっちをずっと見ていたかった気がします。
あと、若いキャラに世界を動かして欲しいという気持ちも分かりますが、
秋田先生、これだけは言わせて下さい。
40歳って、まだまだ引退するには早い年齢ですよ。
生存権を浸食されたら動くんじゃなくて、
もっと一歩踏み出してくれてもよかったと思います。
そこがちょっと不満で、こういう点数になりました。


それにしても、二部を読み始めた頃は大嫌いだったゴンさんが、
こんな萌えキャラになるってどういうことよ(笑)。