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そろそろ、柳生但馬守宗矩のツインテール姿も見慣れてきましたが(笑)、
帯に書かれている通り、ここまでが仕込み段階。
プロローグだったりするわけです。
魔人達が黄泉還り、三人の大剣人が命を落とす。
三人の美女が柳生の里へ至り、十兵衛と七人の魔人が邂逅。
そして、殺し合いのルールが決められ、尾張へ向けての旅が始まる。


実際、私も奇異に思ってますし、読んでる方も奇異に思うのでしょうが、
魔人達があれほど非道を働くのに、大納言であるとかそういった権威には従う。
宗意軒の命令であればと、十兵衛との直接対決も我慢するくらいです。
実は当時、そういう呪いがかかっているのかと思ってました。
後の武蔵の行動を見ると、そうではなかったのか、宗意軒が消えたことで、
自由自在に解き放たれたのか定かではありませんが。
生前の身を焼くような後悔の念。それが転生の条件の一つです。
そして、彼らは武士。
悲しいかな、超絶の力を得た転生後ですら、
生前の武士としての地位に縛られ、権威に対してある程度従順である。
のかなぁと思っています。
奇異に思ってるとは書いているんですが、
一見、暴虐の限りを尽くすような手に負えない連中が、
現世の地位・権力に縛られてしまっているというのは、
実はけっこう好きだったりします。


魔界転生だけではなく、山風先生の小説だと、この無頼・忍者・妖の者達が、
けっこう権威に対してはしっかり従ったりするんですよね。
昨今の漫画や小説だと、超絶の強さのキャラとかって、
自分の女子だったり、権力者をあっさり殺して、
権力よりも手にした暴力の方が強いって事を見せるんですが、
権威がいまより強かった時代背景なので、
山風先生のこういう描写はある意味新鮮だったりします。
で、権力への抗いは誰が見せるかというと、主人公だったりします。
代表格は十兵衛で、柳生忍法帖でのこの台詞がそれを現しています。

あの女たちを見殺しにして、なんの士道、なんの仏法。
仏法なくしてなんのための天海僧正
士道なくしてなんのための徳川家でござる。
もし、あの可憐な女たちを殺さずんば、僧正も死なれる。
徳川家も滅びると仰せあるなら、よろしい、僧正も死なれて結構。
徳川家も滅んで結構。


私が考えるに、悪役ですら権威に対して膝を屈するのに、
それに対して堂々と自説を主張するのが主人公の証なんだろうと思っています。
上から下まできっちりと身分が定められた時代、
そういうものに囚われない部分に主人公性があるんだと。
人を越えた魔人すら凌駕する、そこが十兵衛の人間性なのかな、と。


私見なのですが、柳生十兵衛死すの時の十兵衛ならば、
この魔人達をけっこう楽に倒せるんじゃないかと思っています。
魔人達は、確かに超絶の力を持っているのですが、
大剣聖、愛洲移香斎のあの魔剣には流石に敵わないと思うので。
というか、あの人物のあの技は、十兵衛勝てたのは主人公補正だと思ってます(笑)。
正直、対人であれ使われたら如何なるものでも勝てないでしょう。