史上最強の弟子 ケンイチ 15巻

史上最強の弟子ケンイチ 15 (少年サンデーコミックス)

史上最強の弟子ケンイチ 15 (少年サンデーコミックス)

ジークフリートのドブ川へのダイビングや、トールの新白連合参加など多くのイベントがあった今回ですが、今回はキサラと谷本夏の戦いに絞って書いてみたいと思います。

第三拳豪フレイヤとキサラはかつて、師弟のような間柄でした。しかし、キサラはラグナレクを離反して、フレイヤから離れていくこととなります。町での戦いでキサラが歯が立たない相手を、一蹴したフレイヤ。彼女の強さに憧れを抱いて、キサラはフレイヤの元で強くなる努力を始めます。ですが、武器を使うことで性別の壁を取り払おう、と考えるフレイヤとキサラの溝は深まっていきます。憧れが深かったからこそ、自分の信じる足技の道ではなく、武器の使用を強制してくるフレイヤとキサラは、相容れることが無かったわけです。憧れ、尊敬したフレイヤとの意地の張り合い。美羽の助言と自身の意地を通すため、キサラは辛くもフレイヤを倒します。「強くなったな…キサラ」と、フレイヤはキサラの考えを認めるように、自身の負けを認めます。自分とは違う道を歩きだした、かつての妹分に対して、その道行きを祝福するように……。今回、ケンイチの修行の制空圏にあたるような見切りと、美羽の俊敏で柔軟な動きを、キサラは一瞬取り込みました。美羽が言うように、キサラは誰か師を得れば、さらに高みを望めるのではないでしょうか。……誰が…適任だろう…。足技ってことでいくなら、アパチャイだけど、同性という面から見るなら、しぐれさんがいいけど(笑)。

第二拳豪バーサーカー。彼はラグナレクでも異質な男で、武術を学ばず、生来の身体能力とセンスだけで無敗を誇ってきている猛者です。いってしまえば、格闘の天才といえるでしょう。翻って谷本夏は、馬先生の兄である蒼月から学んだ、主人公であるケンイチに近い立場の人間です。元々の身体能力には、大分差があるようですけど(笑)。弱い他人を、這い回るカタツムリと罵るバーサーカーに対し、夏はこう言い放ちます。
「たしかに百の努力は一の才に劣るかもしれん…だが!!千の努力ならどうだ!!万の努力なら!なぜ武術が何千年も伝えられてきたか…それは武術の世界において…努力は才能を凌駕するからだ!!」
いい言葉なんですけど、実際ちょっと違うかなーと思うわけです。努力して伸びるのは、元々才能の畑がある人で、努力する=畑にまめを蒔くことで、才能を手に入れられるではないでしょうか。つまり、畑が無い人は才能の延ばしようがありません。この作品では、畑をまるで持たない人間の代表として、ケンイチが描かれています。彼は才能の荒れ地を開墾し、少しずつ畑を作っていっています。才能を受け入れる、何かを学ぶ前段階からやりはじめないといけないのが、凡人というわけです。ただ、夏もかなりの苦労をしたのでしょうけれど、もともと才能が無いと、本編で言われているケンイチにこそ、この言葉は相応しいと思います。まあ、彼ならもっとドロ臭い言い方になるのでしょうがけど…(笑)。