真・女神転生Ⅲ〜NOCTURNEからマニアクスへ〜序文

最近、ようやくマニアクスをクリアしたので、ちょっとずつ思ったことを書き連ねてゆきたいと考えています。
いつもより10倍増しの駄文になると思いますが、プレイした方で何か解釈の違い等ありましたら、遠慮なく突っ込んで頂きたいと思います。

ああ、始める前にちょっと私のメガテン歴を書いておきます。恐らく、女神転生というゲームのシリーズのファンでは、最古参の死徒(違)一人ではないかと思いますから(笑)。
このシリーズ自体が、西谷史先生の「デジタル・デビル・ストーリーズ(通称DDS)」の一作目、女神転生から取られていることは、衆知であるとは思いますが、その小説で育まれたこの世界に触れていますので、私自身かなり拘りがあります。特にFCの女神転生女神転生Ⅱは、高校生の頃に寝食惜しんでやって中間テストで酷い点数をとってしまい、担任に呼び出されたほどです(笑)。さまざまに形を変え、メディアを変えて広がっていった、メガテンワールド。その中でも、SFC真・女神転生のシリーズは、根幹を成す大黒柱であり、Ⅲの誕生を(完成ではないところに拘りを感じて頂きたい)今か今かと待ち望んでいました。

クリアした時点での感想は、「これは真・女神転生の系譜ではない」というモノでした。自分で書いておいてなんですが、まさしく痛いファンの感想です(笑)。ただ、これは否定的なモノではないのです。真・女神転生という裾野が広がっていった…いや、根幹である真・女神転生が新たな力を得たと言うべきでしょうか。ええ、本当に喜んでいます。

この物語は、冒頭で東京が死にます。少女革命ウテナで、「卵の殻を破らねば、雛鳥は死んでしまう」という文句が謳われていたように、東京は新たな生を得るために、一度死を体験して、「子宮」の中で育まれることとなるのです。その育まれつつある東京に、方向性を与えるのが登場人物たちが掲げるコトワリ=思想です。主人公は級友や事件の首謀者、そして事件の発端となった祐子先生など様々な人々との間で、利用され続け、その中でコトワリを得るか、与するか、それとも…。ま、その主人公の選択が世界を決めるのですが、それは後で書きます。

コトワリや悪魔たちについて、不定期に書いていきたいところなのですが、ただひとつ、書いておきたい事があります。……これは、これからの方向性を知っていただくためにも、欠くことができないと思いまして…。

すなわち…
祐子先生、可愛いよ、祐子先生!!

以上です(笑)。