私自身は最後の長編版権シナリオに取りかかる事と、
強襲遊撃分隊の日常をきっちり進める事ですかね。


ちょっとつまらない話を。



私、喧嘩の弱い少年時代送りましてね。
なんていうか、喧嘩の最中に相手の家族の事考えてしまうんですよ。
相手にも弟とか妹がいて、私にとっては嫌な奴でも、家ではいいお兄ちゃんだとか。
優しいお母さんがいて、こいつが怪我して帰ったら、悲しむかなとか…。
喧嘩してる相手のことはいいんですよ。ただ、悲しむ人がいるなら、それはいけないなーと。
いま考えると、とんでもない傲慢ですが。
まあ、そんな事考えてると、喧嘩勝てませんよね(笑)。
で、ある時、友達に相談したんです。そうしたら、彼はこういいました。


「リドやん、相手のお母さんじゃなくて、自分のお母さんとかそういうこと考えなきゃ駄目じゃん。
相手じゃなくて、自分のこと心配してくれる人大事にしなきゃ」


…ああ…目から鱗が落ちました。
まったくその通りです。相手の事を心配する前に、自分の大切な人を大事にしないと。
それから、私は喧嘩に負けない子供になりました。
……しかし、この友人は、これから数年後、永遠に時間が止まってしまいました。
同い年で、彼の方が一ヶ月年下だったんですが、いまでは彼より大分年上になってしまいました。
今日、久しぶりに彼の夢を見て思いました。
やっぱり、誰かが覚えていてくれる限り、人は本当に死なないんだなと。


北方謙三先生が、「知るを楽しむ 歴史は好奇心」の中で、
こういう逸話を話しておられました。
レースで亡くなった友人のについて、
誰もその人について語らない事に怒った先生が詰め寄ったとき、
相手の男性はこう言ったそうです。
「(亡くなった男性も)オレたちの心の中では生きている。
だから、あいつの話などすることはないのだ。いつもここにいるじゃないか」
こういう死生観があることに、衝撃を受けられたそうです。


私も今日、それが漠然とながら理解できました。
理解したつもりになってるだけかもしれませんけどね…( ´ー`)y-~~