神撃のバハムートというのはソシャゲを原作とするアニメであり、ジェネシスという前作から10年あとの設定で始められた本作、
神撃のバハムート VIRGIN SOULは、相変わらずソシャゲマネーをつぎ込んだグラフィックと演出でとても楽しませてくれるであろう。
そう期待された作品だった。
と書いてしまうとつまらなかったんだろうかと思われてしまうだろうが、そんなことはない。
新主人公ニーナはとても前向きで、良い意味でも悪い意味でも等身大の少女であり、
彼女が恋するシャリオス17世王も痛みを伴う決断から逃げずに己を殺し治世を行う王として描かれている。
前作では最後に協力した神族は力を奪われ、魔族は人間の奴隷として彼らの生活を支えさせられている。
ニーナがいる王都アナティのきらびやかで美しく、整然とした街並みの下には多くの犠牲が横たわっているのだ。
無論、前作主人公、ファバロとカイザル、リタ、バッカスアザゼル、ジャンヌ他、多くの過去キャラが登場して、
前作ファンは非常に楽しめるストーリーとなると思っていた。


前作のジェネシスがバハムートという超自然災害のような化け物に対して、
ファバロとアーミラという人間の絆が、世界に対してどれほどの牙を突き立てられるか、
その犠牲は正しいのかという事を問うていて、1クールのストーリーで世界観とキャラクターをよく描いてくれていた。
翻ってVIRGIN SOULは、ニーナとシャリオスの関係はよく描かれていたが、
前作キャラクター達はほどほどの活躍はするものの、全体の局面を動かすような展開にはならず、
戦術では勝ったものの戦略では負けているという事が続き、フラストレーションが溜まるところがあった。
一言でいってしまうと、新キャラクターを生かすために前作キャラクターがストーリーを牽引してなかったのだ。
ファバロの抜け目の無さと洒脱さ、カイザルの生真面目さと責任感が裏目に出ているのが残念でしかたない。


あと、今回シリーズからの登場キャラで、アレサンド・ヴィスポンティという青年がいるのだが、
彼の立ち位置が結局の所よく理解できず、見ようによっては人間臭いというのかもしれないが、
正直な所、ストーリーの道具にされてしまったんじゃないかという見方をしている。
当然ながら、ネットではボコボコに叩かれているキャラである。
アレサンドは公式HPを見ると、

アナティの貴族の生まれで、親のコネによりオルレアン騎士団に入団した若手騎士。
かつての栄光を失った騎士団の現状に不満を持っており、よくカイザルにその憤りをぶつける。

という簡単な説明だけがされている。
オルレアン騎士団の方針や、カイザルの言動が気に入らないらしく、よく不平不満を口にしていたのが前半の彼の行動であった。
私もその時点では、よくある不平不満をいう一般人の視点を視聴者に伝えるキャラクターだと思っていた。
この時点では、
現代っ子なんじゃないの?」「パンピー視点だとこう見えるってことだよね」
という意見を散見した。
そのアレサンドは、2クール目から少しずつ立ち位置が変わってくる。
キャバクラで不平不満を漏らすようになり、それを聞いているとオルレアン騎士団、
ひいてはジャンヌ・ダルクの率いる騎士団で栄達を計りたかったと考えていたようである。
ただ、剣術が秀でている様子もなく、指揮能力が高いわけでもないので、
漠然としたものだったのかもしれないが、私はそこで彼に注視した。
彼の説明をもう一度思い出して欲しい。親のコネによりオルレアン騎士団に入団した、とある。
そして、かつての栄光を失った騎士団の現状に不満を持っており、よくカイザルにその憤りをぶつける、とある。
ここから読み取れることは、彼は貴族の長男ではなく次男・三男坊で、放逐されて騎士団にいれられた。
だが、アレサンド自身はそれをチャンスだと思っていたのだが、彼が欲していた栄光の象徴であるジャンヌ・ダルクは、
オルレアン騎士団には既におらず、変な頭のおっさん(カイザル)が団長に居座っていた。
そして、オルレアン騎士団自体が王直属の漆黒兵部隊というエリート(実は違う)集団にとってかわられ、
出世の道がなくなってしまっているようにアレサンドは感じられたのだろう。
本編を追っていくと、彼の実家の力を借りてニーナたちが王がいるパーティーに出席することがあった。
仮にも国王が出席するパーティーに縁のない人物を出席させるというのは、そうとうな家柄であることが分かる。
ただ、そこが分岐点となってしまった。
私も含めて視聴者はここで彼が味方になるかと思ったのだが、そんなことはなかった。
出世の見込みがないオルレアン騎士団を見限り、漆黒兵に入ろうと考えるアレサンドは、
ジャンヌ・ダルクの息子を殺害して、その功績を持って漆黒兵への入隊を考える。
だが、漆黒兵はエリートとは名ばかりの、いつ死ぬか分からない人体改造部隊であり、
志願者たちはただただバハムートを倒すという事の為に命を捧げた殉教者であった……。
そして、名ばかりの団長の地位を与えられ、アレサンドは非常に惨めな死に方をする。
かなり、視聴者置いてきぼりで、なんで彼にそんなに尺さいたの?という感じがある。
私はツイッターで比較的彼の素性を読み解き、心情を推測するのが楽しくて色々と意見を書いたが、
彼の行動は非常に納得しがたいものであるし、脚本の人はなにを考えているんだろうと思ってしまった。
で、その答えがインタビューにあったわけだ。


https://ddnavi.com/interview/377512/a/


大石:騎士団のアレサンドという、現時点ではいてもいなくてもいいような、たまに登場する若者がいるんですけど。
ネタバレになるのであまり深くは話せませんが、この人の人生は、なんというか愛しいですね。


これを一読して私は大体理解した。ああ、人間らしい、人間くさい病だなぁと。
人間は上手くいかない事の方が多いし、綺麗事だけじゃなりたたない事だらけではある。
だから、まったく筋が通らない行動をとっているキャラクターを人間的、人間臭いと書くことで、
その行動を正当化させる事もできなくはないのだが、キャラクターをどう感じるのかは受け手の問題である。
作り手が熱血漢で自由人だと書いているつもりでも、読者からすれば短気なだけで責任感のないいい加減な人物に見えるかもしれない。
なるほど、行動が行き当たりばったりのキャラクターを描けば、それが人間的であるということはできるだろう。
だが、人間的であると意識できるくらい、キャラクターに一定の魅力がないといけない。
人物描写が少なくて好感度があるわけではないキャラクターが、行き当たりばったりで非道をなして、
そのあげくに惨めな死に方をして、それが人間臭いと言われても視聴者は当惑する限りである。


あと、最後まで見て感じた事が、この世界のバハムートというのは神様、魔族、人間が協力して、
なお敗れ去るレベルの大変な存在であり、相争っている暇などない超越した自然災害のようなものなのだ。
そして、それを葬り去れる兵器があり、命を代償にしてシャリオスはバハムートを倒そうとしたわけなのだが、
それをするまでに神魔に協力を仰いでもよかったのではないだろうか。
神族から力を奪い、魔族を奴隷にした事で、街がその犠牲の上で豊になった以上の利益が出てないように見える。
むしろ、対バハムートにおいて、なんの利もなかったと全篇通して言いきることができる。
ニーナは声を失い、シャリオスは視力を完全に失った。多くの人が死に、カイザルも命を落とした。
犠牲は大きく、悲劇的であり悲しい結末ではあるが、世界には平和が訪れた。
だが、悲劇であったり、厳しい選択を迫られた場合、それが唯一の選択であると信じられなければ、
他に手があったじゃないかと簡単に言われてしまうようでは、物語性が薄まってしまう。
折角、クオリティの高いアニメーションを毎週見せて貰ったのに、脚本がそれに見合ってないのは、
お金の使い方として非常に勿体ないと思う。
意外と早く続編がくる可能性もあるが、次回はファンタジーと世界観を生かせる方にペンを取って頂きたいと願う次第である。