:「ゲシュプロテア戦記」(13話)

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長い間いい悪役だったバスカヴィルに最後の時が迫っているようです。
どのような事になりますか(´ω`)。
バスカヴィルに恨み骨髄に徹している状態のイングリッドがどうでるか気になります。
多恵の復讐と、どう差別化していくのでしょうか。
ジルーシャの精神の根底にある風景がある程度理解できました。
御三家という権力に対する憎しみと、正しい事がなされないもどかしさ。
法が死に、正義が地に堕ちたならば、自身がそれを蘇生させ、
堕ちた正義を立ち上がらせる苦難を選んだのでしょう。


初手から憎しみに支配されている感じのあるイングリッド
バスカヴィルの策もジルーシャの一手によって無力化され、
イングリッドの復讐もなるかという刹那、ナヴィーユによって止められます。
多恵の復讐は、節度ある静かな憎しみであったのだと思います。
失われた故人への思いと尊敬によって形作られ、
そこに一定の潔さがあり、見る人に清涼感を与えたのでしょう。
翻ってイングリッドの態度は、憎しみという悪酒に酔い、
酔漢として振る舞い、醜態を見せている。
ナヴィーユが止めに入らなければ、イングリッドを酔わせている憎しみは、
彼女を甘美な堕落へと落とし込んで、心に癒えぬ闇を刻んでいたのかもしれません。
イングリッドと多恵は年齢的にも、地位においても対照的ではありますが、
この場合においては、多恵に学ぶ部分が多かったのではないでしょうか。


一悶着あってバスカヴィルもとうとう終わるわけですが、
彼の最期は彼というより、タバードの恐ろしさを強調する結果となって、
多くの人々に直接的に、間接的に苦しみを強いてきた男が、
らしいといえばらしい最後を遂げたのかなと。
ベルナップはどうしたのかなーと思っていたら、
エピローグでシュレンジャーの核心に触れる部分に手を出してしまい、
敢えなく命を落としてしまうことに。
ある意味彼もバスカヴィルと同様、
シュレンジャーの異常性を表現する小道具として死んでしまったように思えます。
そのシュレンジャーの異常性ですが、
邪悪なのではなく、彼自身の正義に忠実な信念の人という感じです。
ただし、自身の信念に沿わない人間には一切価値を認めず、
他者の信念にも価値を認めない、孤高の、孤独の人であるようではあります。
牙衛兵という彼の信念に賛同した者達がいるのに、
なぜ孤独の人と称したかというと、彼は他者を必要としていないからです。
先に書いたように、自分の信念に沿わない人間に価値を認めていません。
他人というのは自分と違う事を思い、考え、口にします。
一個の信念に賛同し、その敷かれたレールから一歩も思考がでない。
牙衛兵というのは人間ではありません。道具です。
シュレンジャーに対して初めて恐ろしいと思いました。
人間を道具として捨て去るというより、人間を道具に、
壊れたらゴミとして捨てられる道具に変えてしまう所でしょうか。


メレトス子爵とカトレイアがなにやら話していましたが、
明確に露呈したシュレンジャーの本性に比べると、
彼らのそれは理解できるできないはともかく、
まだまだ温いなぁと(笑)。


それでは、暑い日が続きますがお体には気をつけて下さい。