[とある魔術の禁書目録] 9巻

[とある魔術の禁書目録] 10巻

大覇星祭。何度か本編でも触れられたイベントだったと思いますけど、大規模な学園祭+運動会ですか。これだけの敷地の学園都市で開催されるだけあって、超能力抜きにしても面白そうではありますけど。しかし、この「みんなが楽しんでいるイベントの裏でそれを守るために主人公たちが奮戦する」というシチュエーションは使い古されたものだけに、その調理方法を間違えれば陳腐かつ詰まらないものになりがちですが、非常に上手く料理していましたね。土御門・上条・ステイルと基本的にソリが合わないっぽいメンバーで、敵を迎え撃たないといけないわけで、なおかつ今回は歩く魔術書であるインデックスの協力が仰げない(本編で散々言及されているが)ため、敵の魔術についての謎解きが困難を極める中、イベント中で大勢の人間の壁が溢れかえっている最中に、敵を発見・追跡しなければならない状況。「〜してはならない、〜できない」という枷がある状況で、何かを成し遂げないといけないというのは非常に盛り上がるものがありますが、いつも以上に盛り上げているのは前述した「インデックスの協力を仰げない」ことと「大覇星祭開催中であるため行動に制限がかかる」という二つが上条たちを縛っているからでしょうか。

ステイルと小萌先生(ところでIMEさん。先生を「せん聖」って変換しやがられるのは、どこの口がほざきやがられるんでしょうか)のフラグがたったっぽい辺りがちょっとほんのり穏やか風味で、緊迫した中でいい雰囲気を出していました。小萌先生って、容姿や喋りから一見天然っぽく見えるけれど、かなりの熱血教師ですよね(笑)。小萌から小燃に改名してもいいくらいの(笑)。今回も、オルソナに怪我を攻撃されて重症を負った姫神を助けるために、一巻でインデックスに習ったというか、使用させられた魔術をうろ覚えながら使おうと必死になります。中には上条たちのクラスと初戦の棒倒しで戦った相手の学校の先生のようなタイプがいるのかもしれませんが、基本的にあの学園都市の先生たちは熱心で熱いですね(笑)。

オリアナとリドヴィアの考えていることって、キリスト教文化圏なら簡単に受け入れられたかもしれませんが、ほとんど宗教に触れることがない(もしくは行事をちゃんぽんしても平気な)日本人からすれば、「ローマ十字正教的に都合の良い幸福」というのは受け入れがたいものがあるかもしれません。特に読者は、7巻でアニェーゼたちの「ローマ的なやり方」を見ているわけなので、負の感情の方が強いかもしれません。実際、オリアナの考えていた救済は、私も中学生の頃に思ったこともありますし、銀英伝でもヤン・ウェンリーが「答えの出ないパラドックスだ」というような事をいっていたと思います。私のそれに対する答えは、「立ち止まらない」でしょうか(笑)。恥ずかしいことを連綿と書いてしまいそうなので、ぼかしておきますけど。

今回、吹寄という女の子が登場して、彼女や実行委員会がどれほど、大覇星祭にかけてきたかということが、何度も語られています。その布石が、何を意味するのか、最後の最後でわかります。リドヴィアの価値観からすれば、「くだらない祭り」で、歯牙にもかけなかったことが…しっかりと裏目に出ます(笑)。読み進める中で焦れることもあるとは思いますが、ところどころで土御門が、ステイルが、上条がその熱い意思を見せて物語を牽引してくれます。

前・後編だから一気に買ってよかったですよ。たった一ヶ月待てば続きが読めるとしても、気になって仕方なかったでしょうから(笑)。ところで、小萌先生はともかくとして、上条ママンや御坂ママンとかあの世界の母親って、なんであんなに若いんでしょう(笑)。

そうそう。……こんなことを言ってしまうと、本編の時間軸の進行がさらにゆっくりになってしまうかもしれませんが、この大覇星祭での各々の時間の過ごし方を短編集で出しても面白いんじゃないかなーと(ちらっと出てきたラストオーダーと一方通行とか、オルソナとシェリーなど)思ったりするわけです(笑)。