バキ外伝疵面が、連載休止してから、もう数年経ちます。
週間チャンピオンで少し話が進みましたが、いい所で休載されて現在に至ります。
そして先頃、別冊少年チャンピオンで、待望の刃牙外伝「創面」が連載開始されました。
疵面の頃と同じ、花山薫という人の凄みを、様々なエピソードを含めて展開していく方式です。
驚くべき事と言っていいのか迷いますが、なんと高校生の花山薫が、
神妙な面持ちで学校に通うという、非常に萌え要素高い物語になっています(笑)。
今の所、一話完結のお話が続いていますが、疵面もそうだったので、
いつ連続するストーリーになるか分かりませんが、いまのままでも十分に面白く読ませて頂いています。


本編であるグラップラー刃牙において、純粋な強さというものは、
すべてのわがままを押し通すものであるとされています。
まさしく範馬勇次郎などは国家とも肩を並べる、
超越した存在であるといえるレベルまで達しています。
そして、花山薫という人も、また、説明するまでもなく強い人です。
トーナメント編までは彼が負ける姿が、ある程度想像できたのですが、
死刑囚編でスペックと戦い勝利した、あの不撓不屈な姿や、
それ以後の圧倒的な存在感。
もう、私には彼が敗北する姿が思い浮かばなくなっています。
ただ、彼の強さというのは、刃牙本編で言われているわがままを通す力、
ではないと私は考えています。


その恵まれた身体から、他者を圧倒する戦力を有しているにも関わらず、
花山薫という人は実に、遠慮深く控えた人であるのです。

「もし、花山の腕力があったら……
ワシならもっと身勝手に振る舞う。相手の事情なんざかえりみず……
欲しいものはなんだって手にいれるだろう……
なのに、やらねぇんだ花山は……」

そう評されています。
グラップラー刃牙世界において、究極の法である、
強さによる蹂躙を行う権利を持っているのに、
それを不用意に弱者に対して用いない……。

「藤木組(そしき)に身を置く。
それは飼われてるってことじゃねぇ。従うことが忠義じゃねぇ。
本当の忠義は、従うじゃなくて慕う気持ちから来るモンだ。
たとえば、そーゆうのが……
花山(あいつ)の美意識(いきかた)なんだろうな……」

と同じ人物に評されています。
この慕う気持ちというものは、行動に対する枷を持つと言う事で、
弱さを表すものであると考える事ができるかもしれません。
しかし、そこにこそ花山薫という人の強さがあるのだと思います。
新たなバキ外伝創面では、一切その戦力を用いず、
その存在感と凄みだけで、様々な事態を乗り切っています。


勇次郎の破天荒な生き方も嫌いではありません。
ですが、本編の息子との戦いで見せたように、
自由するぎる彼には自由がありません。
ひるがえって、自らその巨大な身体を押し込めているように見える、
花山薫という人のその美意識(いきかた)は、
一見窮屈なもののように見えるかもしれません。
しかし、本当の意味での自由なんじゃないかと、私には感じられてなりません。
疵面の扉絵で一番好きなのは、花山兄貴が在りし日のお母さんと一緒に、
拾ったボールを野球少年達に投げ返してやろうとしているシーンです。
あの気負いの無さ、優しさこそが彼の強さの根源なのではないでしょうか。